Sydney2Adelaide (NSW., Australia)
Sidの10行海外紀行 Vol.3, NO. 001

 1998年6月に約1週間のオーストラリア・ノーザンテリトリ(Northen Territory)を列車、バス、飛行機を乗り継ぎ旅行をしたので数回に分け記事にする。
 第1回はシドニーからアデレードまで、有名な特急列車Indian Pacific号に乗った。予算の都合と出来る限り現地人と会話したいため個室でなくCoachクラス(日本で言う2等車)に乗った。運賃はA$288.80で2万円程 度。14時55分にシドニーの中央駅から出発した。席は日本の列車のように狭くなく、ゆったりとしているので比較的楽だ。大勢のオーストラリア人に囲まれ 列車はゆっくりと走り始めた。
 列車は多分20両以上の客車、乗客の自家用車搬送車両が連結され、強力なジーゼルエンジン車が引っ張ってゆく。郊外に出れば殆ど単線を走る。日本人の猛 スピードで走る特急列車の感覚は全く無く、そこはオーストラリア、ゆっくりとゆっくりと走って行く。シドニーを15時に出て17時頃にはスリーシスターズ で有名なカトウンバ付近に達し、夕暮れとなった。アデレードまで約25時間の列車の旅の始まりである。しかし列車が走り始め早速問題が起きた。この車両は 暖房が壊れているのだ。6月は冬でかなり冷え込む。持参したセーター、ジャンバーを着込み寝込んだ。
 二日目の朝6時頃、周囲が騒がしいので目がさめると乗客の老人が倒れたとの噂が流れた。暖房が壊れた為であろうか。車窓からは朝の散歩か、多くのカンガ ルーが飛び跳ねて行くのが見える。先ほどの老人はブロークンヒル駅から担架で運ばれ救急車で何処かに行った。この駅で30分程度停車で、改札を出て駅前を のんびり散歩をして時間をつぶした。9時ごろ列車は無言のうちに出発した。
 10時ごろ車掌が突然私の席に来て、会社から電話だから車掌室まで来て下さいと言った。長い列車を先頭の車掌室まで向かった。途中、特等車、1等車、食 堂車の室内を垣間見ながら車掌に付いて行った。私は会社から携帯電話を与えられていたが、好きでなく私用の時は持たない事にしていた。お陰で片道20両ば かりの適度な運動をした。ブロークンヒル駅を出発した車窓からの景色は1時間以上殆ど変わらず飽きが来たので食堂車に行ったが、私の乗っている2等車の乗 客は入れず自動販売機でスナックと飲み物を買って席に戻った。後は車窓をボーと眺めて居るうちに15時30分頃アデレード市内に列車が入ってきた。やっと 都会らしい家が見え初め16時前アデレード駅に到着した。Indian Pacific号はこのまま有名なララボー高原を走りパースに向かう。私はここから宿泊地クーパーペデイへ向う為バスに乗り換えた。